マヤ文明とは、中央アメリカのユカタン半島を中心に築かれた文明である。しかし、その文明は多くの共通する文化的要素を持ちながらも、統一国家は生まれず、地域的特色の濃い都市国家がいくつも林立している状態がスペイン征服まで続いた。
時代は、先古典期中期から徐々に都市が築かれていき、古典期前期にはいくつか大きな都市(センター)が生まれた。古典期後期が最も反映していた時代で、マヤ中部低地においてティカル、カラクムル、コパン、パレンケなど主要な都市国家が各地に大きな影響を与えていた。このころから多くの遺跡で神殿ピラミッドや碑文を伴った石碑が大量に制作されるようになる。そうした繁栄も長くは続かず、古典期終末期と呼ばれる約100年の間に中部低地の大センターが次々と放棄されるようになった。俗にこの時代を、「古典期マヤ文明の崩壊」と呼ばれる。なぜそのようなこと起こったのかは、はっきりとした原因は解明されていないが、自然災害、食料危機、多民族の侵入、中小センターの勢力増大などの要因が複合的に作用したのではないかと示唆される。
そんな中、マヤ北部低地ではウシュマルやチチェン・イツァなどの大都市が生まれ、後古典期に最盛期を迎えることとなる。マヤ南部高地でも中部低地の崩壊の波の影響を受けず、後古典期まで繁栄をつづけた都市もあった。
後古典期は、古典期のような壮麗さをもった建築や芸術ではなかったが、洗練された技術と遠距離交易網の発達により新しい文化が芽生えていた。そうした発展は、スペインの侵略まで続いていたが、北部低地において親族抗争によるマヤパンの放棄など国力は衰えていっていた。そして、1519年のスペイン人の到来による、アステカ文明の破壊を皮切りにマヤ文明も例外ではなく、スペインの軍門に下ることとなる。しかし、小規模国家がいくつも存在していたため、すべてを征服することは難しく、マヤ人の抵抗は、1697年のタヤサル陥落まで続いた。